明日も伸び伸び

ほどよい疲れが好き

今日は八十八夜

こんばんは。すっかり夜の更新がパターン化しており、これではいけないと思っている今日この頃です。 それだけ日中は忙しいということでもあるのですが…。 今日はとうとうここに御仏壇が入りました。ひとまず仏間に納めただけで、明日、荘厳をして御本尊をお迎えします。 これでこの孟宗庵が本当の聞法道場になるわけです。 (写真は孟宗竹ではなく笹竹のたけのこです。ここ孟宗庵には少しですが笹竹もあるんです。これはこれで美味しいそうですよ。ちなみに寒い東北地方には孟宗の竹林はこのあたりにしかないので、一般的に「たけのこ」というと笹竹のこれを指します) 今日、5月2日は八十八夜。2月4日の立春から数えて八十八日目ということです。 「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉がしげる あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきにすげのかさ♪」 と歌われるように、この八十八夜に初摘みをするのが、お茶農家の習わしになっています。 お茶の旨味成分のテアニンは日に当たると渋み成分のカテキンへと変化するため、強い日差しの夏を迎える前の新茶にはうまみが豊富ということです。 仏教の話もせねばなりません。 「相対の幸福は続かない」ということを話してきましたが、「続かない」ということは、「相対の幸福を得た安心感には、常に“崩れるのではないか”という不安がつきまとう」ということでもあります。 幸福の絶頂にある人ほど、その不安は強くなります。あとは崩れるしかないからです。 昔、結婚報告の記者会見で、「今、怖いほど断食ダイエトです」とコメントした芸能人がありましたが、このことを言っていたのかもしれませんね。 このへんで、そろそろ次の「相対の幸福はキリがない」ということについて語っていきたいと思います。 「相対の幸福」の別名は「欲望の歓喜」 「欲望の歓喜」とは、“欲しいものが手に入った”とか“望んでいたことがその通りになった”という歓喜(かんぎ…歓も喜もよろこび)です。 しかし、私たちの欲の心には、「これでもう大満足」というところがありません。いわゆる「欲の心にはキリがない」ので、その欲を満たす幸福である「相対の幸福」にはキリがないのです。 明日からは「相対の幸福にはキリがない」ことを示す、具体的事例をあげて検証してみたいと思います。